自然派ライター・かくまつとむの「B級田園生活日記」

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RSS 桑畑の再資源化で成功したムラ

<<   作成日時 : 2008/08/20 08:55   >>

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現在発売中のBE−PAL9月号「ゲンキな田舎!」では、養蚕の衰退後に取り残された桑畑を、まったく新しい発想でみごと再資源化した、島根県江津市桜江町の事例を紹介しています。
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(右の大きな木は、20年以上放置され、大木化したままの桑。左側は定期的に刈り取って再び更新された桑畑)

養蚕といえば、ワタシが小学生だった昭和40年代まではけっこう盛んでした。友達のヒロシ君の家へ遊びに行くと、涼しい土間に台が並べてあって、おびただしい数の蚕が桑を食べるザワリ、ザワリという音が響いていたことを覚えています。
そんなヒロシ君の家の周りは一面が桑畑です。
枝を刈り取られた独特の樹形は、今思えば一種独特の農村美を醸し出していました。

桑畑と言えば地図にも独立した記号が存在するぐらいで、昭和初期には日本の全耕地の1割に相当する面積が桑畑だったそうです。
さらに調べると、明治末期、日本の輸出総額のじつに6割を絹織物が占めていたというデータもありました。
養蚕というのは、今の自動車なみの産業であり、外貨獲得の柱だったのですね。

地方都市には、繭の集荷や加工で栄えた土地が少なくありません。そうした絹の町の周辺にある農山村を歩くと、古いながらも家の作りがどこも立派で、けっこう裕福な暮らしが営まれていたことがわかります。
養蚕が盛んだった時代、今の限界集落という言葉に象徴される深刻な高齢過疎問題はなかったのです。
養蚕の盛衰を見ると、地域間格差の問題とはまさに産業問題、すなわち就労の問題であることがわかります。

江川(ごうのかわ)沿いにある桜江町も、蚕で栄えた、そんな豊かなムラのひとつでした。

詳細は本誌に譲るとして、話をダイジェストしますと、桜江の人たちは、放置されて藪と化した桑畑を有効利用する方法を考え出しました。それが健康茶です。
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日本には、さまざまな草木の葉や樹皮を煎じて健康管理に取り入れる習慣があります。
桑の葉茶もそのひとつ。あまり一般的ではないのですが、桑は日本薬局方にも記載されている漢方生薬で、じつは喫茶の習慣を日本に広めた鎌倉時代の禅僧・栄西は、チャの木のほうの茶と、桑の葉の茶の両方を紹介しています。

しかし、広まったのはチャの木の茶で、桑の葉はわずかに薬酒などに使われるにとどまり、一般化しませんでした。

いわば忘れられた素材であったわけですが、それに着目したのが、現在、有限会社桜江桑茶生産組合など3つの会社を経営する古野俊彦さんです。

古野さんは50代で桜江へ移り住んだIターン者。提案当初、地元の農家から「虫に食べさせる桑の葉を人間が飲むお茶にするなんて」「そんなものがお金になるなら、とっくにやっている」と冷笑されますが、持ち前の行動力で、健康志向という時代の波をみごとにとらえました。売り上げは右肩上がりで、今期の連結売上は3億円を見込んでいます。

なんだか、徳島県上勝町の葉っぱビジネスと似ていますね。
地方初のヒット商品というのは、往々にして、こうした「感覚差」から生まれるようにも思えます。よそから来た人は珍しがったり面白がるけれど、地元の人はほとんどがダメ出しをする。そんな素材こそ、大化けのチャンスがあるという法則は、ここにも当てはまります。

桑をお茶にすることによって、不良資産と化していた桑畑がみごと優良資産に再生したばかりでなく、地元に働く場を創出したことで、目に見えない地域活力も生み出しました。

たとえば、おばちゃんたちのおしゃべりの場です。仕事の合間や休憩時間、あるいはお昼休みに、桑の木の下でする井戸端会議というのは、久しく途絶えていた習慣だったのだそうです。
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「家に集まると、その家のお嫁さんに気兼ねして話が盛り上がらないし、まして嫁の悪口なんかもいえないのね。ここだと、自由に愚痴もこぼせるから楽しいんですよ」
こう語ってケラケラと笑うおばちゃんたちの笑顔が印象的でした。

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